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My boss history  第二話

新百貨店開業 若者を集める

橘百貨店時代の十年弱は、ほとんど休みが取れない状態であった。土日出勤していると、平日は中々休みが取れないものだ。それでも仕事は、非常に楽しかった。百貨店開業準備中は、色々な交渉事に没頭。交渉が進捗せずに辛い日も続いたが、街の皆さんの新しい百貨店に対する期待感が、交渉事を進めるエネルギー源となった。

交渉事とは別に、百貨店開業前は、私自身が交友を深める期間でもあった。商工会議所、ロータリー、ライオンズ、青年会議所、県庁、市役所等々、身体が空くと積極的に訪問し、新百貨店のアピールをしたものだ。又、マスコミとの交流を深めたのもこの時。各社、新百貨店のデビューを、好意的にとらえて頂いて、非常にありがたかった。故毎日新聞片山元支局長は、私と同志社大の同輩で、宮崎赴任も同じ時期だった事もあり、特に親しくさせて頂いた。健康を害して、平成21年8月他界、非常に残念だった。

昭和63年5月、ようやく新百貨店が一年半の工事を終えて開業。これまでアプローチした多くの方々に、ご来店頂いた。特に、当時の県知事の松形氏は、よく立ち寄って頂いて、色々品揃えのアドバイスを頂戴した。地方にも台頭してきた、人気のDCブランドを集結したこともあって、百貨店では珍しく、若者の集いの場所となり、「ボン」「ボンタチ」の愛称で親しまれた。百貨店の華である催事も、色々仕掛けをした。山下清展は三万人の集客、県外のお客様も多かった。民放とのタイアップで実現したきんさんぎんさんのトークショーは、きんさんが飛行機が駄目で、ぎんさんだけだったが、百才でもかくしゃくとしている姿は感動物であった。百貨店の主力であるミッシーミセスファッションは、地元で展開していたブランドでは明暗がはっきりし、顧客の差が売り上げの差となって出た。

畑中宣彦

 

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・きんさん、ぎんさん100年の旅写真展

開会式であいさつ、その日の夕方のローカルニュースでテレビ報道。

 

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・ぎんさんを囲んで左妻 幸子(故人)、右娘 裕子

 

千葉県船橋市前原西1-4-7

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